来年から変わります。

夏ぐらいから仕事が楽しすぎて心に余裕ができたのか、その仕事に疑問を感じた。
自分の頑張りは、サービスのものとなる。
だけど、がんばっても、がんばらなくても、自分には何も戻ってこない。
 
こういう働き方を選んだからこそ、刺激のある毎日が送れた。
けれど、
こういう働き方を選んだからこそ、壁を感じた。
これからも、契約更新月に怯える日々を過ごすのは嫌だと思った。
 
小さい頃から憧れていた、人をワクワクさせる側になれる仕事を探した。
気持ち的にはどこでも入れる変な自信を持っていたが、フツーに書類で落ちることもあり凹んだ。
そして、複数の転職支援サイトからくる同じ内容のメッセージに落胆してた。
言い負かされたけど、人事の人の話が興味深くて、たくさん質問した面接もあった。
相手には迷惑だっただろうけど、いい時間だった。とても勉強になった。

結果的に、10年近く学んでいた技術からはさよならすることとなりすごく悩んだ。
今の自分は新卒の頃よりは多少安定してコードが書けるようになったと思う。
だけど業界を牽引するほどでは無い。そしてなによりカリスマ性もない。力不足感は否めない。
というより特定の技術に固執する必要は無いんだと思った。
 
でも、手は動かしていきたいし、勉強はしていきたいとの思い。そして、家族を早く安心させたいという思いから次を選択した。
予想外の内定に、テンション上がって即決した、感じでもある。

手を動かしながら、会社を動かせるようになれればなぁーと最近思うようになった。
というか、それぐらいしか収入を増やす選択肢が自分にはないんだろうなぁ。
 
きっと今ほど自由は効かないから辛いだろうけど、スタイルを柔軟に変えながら生きていきたい。
今は秘守なんとかとかがあるので関わっているサービスとか言えなくてむず痒い。次ではサービスに大きく貢献して、自慢したい。
来年から、新しい道を歩みます。
 
要約すると、今もわくわくしてるけどもっとわくわくしたい。ってことです。
使用期間が無事終われば、今までとはターゲットユーザが違う、インターネットの世界にいると思うので
気づいた時に連絡していただけたらなぁって思います。

差し伸べた手は

優しさなのか。


朝、駅のホームで目の前のおじいさんが豪快に転んだ。
ちょっとびっくりしたけど、痛がってる感じでもないし一安心して声を掛け倒れた鞄を直した。

おじいさんは、立ち上がろうとしてたが周りの人に肩や足を抱えられていた。そして、それを見守る数人。
おじいさんは、苦笑い。
なんだか「俺が!」「私が!」と集まって当人とは関係無いところで優しさを競っているように見えた。

優しさは大切だけど、押し売りはしないようにしようと改めて思った。

文字に侵されて

手を広げれば情報が飛び込んでくる。

ニュースサイトはマメにチェック、メールやrssリーダーも活用する。
頭の中はたくさんの文字に侵され、目に映るニュースは全て既知で、世の中のすべてを感じれる。

周りで盛り上がる話題にたいしても「そんなニュース知ってる!」
「俺はその話題の今を知っている!」
と優越感に浸ってしまう。新鮮さは皆無で過ぎた話題には興味がない

確実に全能に近づいている。


この感覚は以前味わったことがある。そう、小中高校の「予習をすると授業がつまらなく感じる」と同じだった。

最新情報を追い続けているのに、わくわくが少ない。
わくわくを取り戻すために次のことをした。

rssリーダーの起動を止めた
・夜中目覚めた時に2chまとめとか見ないようにした
・ニュースサイトに接続しなくした


こうしてまた新しい感覚に出会えた
・たまたま見たニュースが新鮮に思える
・日に一回Googleニュースを見るだけで落ち着く
・周りの話にも興味が沸く
・景色を眺めて心身が癒される
・電柱に激突しない
・看板に激突して謝らない
・「私といるときぐらい携帯見ないでよ!」と言われない

頭のなかに余裕ができた気がする
全知全能はきっと退屈だろう

もっと毎日をわくわくさせたい。

仕事とわくわくはイコールに近づくのだろうか。

楽しい仕事をしよう、仕事を楽しくしようという想いが
いつのまにか仕事を楽しそうにしていることが素晴らしいという言っている気がする。


素晴らしいっぽいモデルケース
・仕事前は異業種交流会
・昼休みは情報収集のためのランチ
・トイレの個室でニュースチェック
・業後は勉強会
・帰宅後は好きなアプリを作って
facebookは異業種であふれる

自分の将来のために、やりたいことをとにかくがんばる。
人生の9割を仕事と自分に投資してるように見える。

人それぞれ、目標も生き方も将来設計も違う。

あくまで自分の場合。

生きることのゴールは「幸せ」でその過程に「結婚」「子供」があり、それを支えるために「仕事」がある。その「仕事」を支えるために「勉強」がある。

家族の理解があると仕事も楽しくなる。家族が理解してくれればケアもしてくれる。

仕事からは少しずれた観点から、仕事を見つめながら生き続けたい。